柔軟性

大企業に努める人からの相談事で、意見(主張)を通すか、取りやめるかという話でした。私も会社勤めをしているとき、よくこのような状況に遭うことがありました。その時は私は相手が役員であろうと自分の考えを引っ込めることはしませんでした。今思えば、器が小さかったと思えます。反省点です。

私も還暦を迎え、耳順とまではいかないまでも、予期していたこととは異なる反応に対しても、受け止めることができるようになってきました。

若いころは自分の想定外のことが起こると、なぜと、敵愾心に近いような感情がむくむくとわいてきたりしていましたが、最近はそういう考え方もあるのかと、受入れができるようになってきたわけです。

持論を述べて変わるなら述べ甲斐もありますが、相手が組織の場合、そう簡単には変わらないと判断しますと、別の道を探すほうが早いのです。そうかといって、完全に最初の道をあきらめるのではなく、機会を見て、対応を求めていけばいいかというような感じです。

合理的であっても、理屈にかなっていても、組織がいったん決めたことは簡単には変えないものですから、時期を見て変化を促すしかありません。要は長い目で見ることも必要ということです。自分の考えが正しければ、必ずチャンスは巡ってきます。その時を虎視眈々と狙うのも戦略上必要かと思います。

若いうちは、どうしても今しかないという考えに陥りがちです。立場が違えば考え方もおのずと変わってきます。その違いを理解できた時、主張の仕方も変わると思います。ときに「引く」ということも覚えておいて、最後に勝てばいいので、勝負するときは必ず勝つという状況で勝負をすることも知恵かと思います。

しかし、偉そうなことを言っても、まだまだ熱いものが自分の中にあり、時に激しく感情の高ぶりを吐き出したくなる部分が残っているのも事実です。それが次なる挑戦へのエネルギーになっているような気がします。そのエネルギーを感じなくなった時、私は完全リタイアするときかと考えています。   和合実