悲しみの涙、悔し涙、うれし涙等々、感情が高ぶると涙を流すこともありますでしょう。でも、顔をつたう涙ばかりでなく、人に見せない眼の奥で流す涙もあるのです。それは子を 

思う親心や、反対に親を思う子の心に見えます。あるいは、涙をこらえて厳しく教育する指導者に見るときがあります。その根底には深い愛情があると感じます。

 父と息子の関係というのは、互いに分かり合っていても、時に面と向かうと素直になれないところもあります。そのことは私自身もよく理解できます。私は20代で父を亡くしましたが、父の死を予期するまで、素直に向き合えずにいました。でも互いに相手を想う気持ちには強いものがありました。

 心の許容量が小さいと、相手の懐の深さは測れないものです。自分に対する相手の厳しさが、意地悪なのか、愛の鞭なのか、見極める必要があります。

 相手を受け入れたとき、気づかなかったことに気づけるのです。それが理解の始まりです。そのときこそもっと自ら心を開き、素直に自分を表現すると相手と通じ合えます。

 相手に理解されないときには、つらさもありますが、その分理解されたときの嬉しさは倍増すると思います。思いやりは当初一方通行になることも多々あります。でも、いずれ相手に通じるものと信じます。

 今日は、ちょっと感じるところがあり、「涙」を題材にしました。不動産に関係のない話でごめんなさい。 和合実