資産の組換え:目指すのは地主としての地位か、それとも資産家としての地位か

 4年ほど前、私は友人のお父さんにお尋ねしたことがあります。バブルのころは一山を持つだけでも資産家といわれていましたが、 この方は見渡す限り実はどこまでかわからないぐらいの山林を所有する大地主です。しかし今では山を所有するだけでは資産家といわれなくなりました。山林を切り出しても費用が掛かるだけで業としては成立ちません。それが一般的な山持ちの現状です。山林の固定資産税は安いのですが、それでも出費に見合う収益がありませんから、お金は出て行く一方です。バブルのときなら買いたい人はいました。それも高く。でも今では仮に買いたい人がいましても二束三文です。この先持ち続けてどこかで高く買ってくれる人が現れるのを待つか、たとえ安くとも今のうちに売却するのがよいのかを、選択していただくことにしたのです。これはこの地主さんにとっては理性と感情を引き裂くような問題なのです。安くとも売った資金で収益物件を購入し収益を生ますか、それとも地元名士として大地主の地位を守るのかの選択です。前者を選択するのは理性の部分です。将来性のないことはわかっていますから、収益物件に資産の組換えを行うことにも一理あると考えるのです。後者を選択させるのは感情の部分です。地元で生きていくうえでの見栄や世間体が縛りをかけています。これを私は意識の呪縛と呼んでおりますが、この方は結局意識の呪縛に捉われ、今もその山林を持ち続けておられます。経済的合理性だけで人は動けないのです。一方、友人兄弟は、都心で働き地元に帰る気は全くありません。父親の下した結論に文句は言いませんが、山林を相続することに難色を示しています。このお父さんは「俺が死んだあとに子供が好きなようにすれば良い」というお気持ちです。私はどちらの言い分もわかります。お父さんも頭ではわかっているだけに実につらい思いをされていますから、このときは説得する気にはなれませんでした。これはこの方にだけ当てはまる問題でなく、収益を生まない大きな土地を持ち続けるのがよいか、それとも土地の面積は小さくとも収益を生む土地を持つのがよいのかの選択です。私は、前者を選択するのは地主としての地位を頑なに守ることで、後者を選択するのは資産家としての地位を築くことだと考えています。実際にある方の山林売却のお手伝いをして、2年がかりで売りました。(でも今後は山林を扱いたくありません。やってみるとあまりにも時間が取られ大変なのです。)時代の変化は酷な選択を迫っています。選択を誤れば没落地主になっていくように感じています。遊休不動産をお持ちのあなたはどちらの地位を選択なさいますか? 和合実